キハ28 113 → キハ28 2113



1962年5月29日東急車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット112〜115全車が千葉へ配置された。千葉では房総半島の急行で使用され、1972年5月25日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2113へ改番された。房総各線の電化進展後も千葉で活躍したが、房総地区主要幹線の電化が完成した「50-3改正」で千葉の気動車配置はなくなり、1975年3月18日付で名古屋へ転出した。名古屋では残存していたキハ55系を駆逐し名古屋起点の急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍した。「53-10改正」後は「のりくら」「紀州」がメインの運用となったが、「60-3改正」で「紀州」が廃止され、国鉄最後の「「61-11改正」で急行「のりくら」が削減されたことから余剰となり、1986年10月26日付で急行「能登路」用に七尾へ転出しそのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「能登路」用となり、ボックスシートのまま1988年度中に「七尾急行色」へ塗装変更された。1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は9月中に小郡へ転出した。小郡ではそれまでの50系客車に代わり山陰本線西部や山口線で活躍を開始した。転入後黄色ベースの「広島普通色」へ塗装変更されている。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。小郡では長く活躍したが、1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1997年4月8日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新されており、それに伴い運転席窓下の手すりは若干下がっている。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンはスリット式のままである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。当車は千葉配置車であるので、貫通ドアに千葉地区特有のヘッドマークステイが残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。当車は乗降ドア戸袋部の点検蓋が、後期車のような大型の蓋に改造されている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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