キハ28 119 → キハ28 2119



1962年6月15日東急車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット116〜119のうち、当車のみが千葉へ配置された。千葉では房総半島の急行で使用された。1973年6月25日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2119へ改番され、引き続き晩年まで房総地区の急行で使用された。その後「50-3改正」で房総地区の幹線電化が完成し気動車急行は全廃され、当車は1975年3月18日付で名古屋へ転出した。その後は中部地区の急行再編が行われた「53-10改正」で美濃太田との間で車両交換があり、当車は1978年10月2日付で美濃太田へ転出した。美濃太田では急行「のりくら」を始めとして名古屋を起点とする急行で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」に際し、1986年10月30日には、越美南線の廃止や急行の削減により所要数が減ることから、若番車が多かった七尾機関区へ転出し、同区の若番車と交代しそのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行用となり、1990年1月29日付で「七尾急行色」となり急行「能登路」で活躍した。1991年7月の七尾線電化後も引き続き輪島・珠洲へ直通する急行「能登路」用に残留し、1991年9月1日付で金沢運転所へ転出し、1992年11月10日付で「能登路」向け延命工事を受け黄色の「能登路色」となった。その後も引き続き急行「能登路」で活躍したが、2000年以降能登路の削減が進み、2002年3月23日に廃止された。しかし当車はキハ58 596と共に急行色へ塗り戻され、波動用・イベント用として引き続き金沢地区で活躍した。しかし、老朽化や、他のキハ58が急行色へ塗り戻されたことから当車は2008年11月17日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新されており、それに伴い運転席窓下の手すりは若干下がっている。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンはスリット式であるが、乗務員室側には金沢地区特有の傘状のカバーが取り付けられている。正面窓上の水切り・通風口は左右とも撤去されている。当車は千葉配置車であるので、貫通ドアに千葉地区特有のヘッドマークステイが残存している。
側面は、ほぼ原形のままである。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗降ドア戸袋部の点検蓋が、後期車のような大型の蓋に改造されている。後位側便所側面には、汚物処理装置が取り付けられた関係で点検蓋が設置されている。
屋根上は、能登路用延命車共通で、通風機がガーランド式ベンチレーターへ交換されている。
床下は、油タンクが角型のものに更新されている。水タンクはFRP製の新型のものに交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側床下4VKと水タンクの間へ設置されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る