キハ28 121 → キハ28 2121



1962年6月28日東急車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット120・121両車とも千葉へ配置された。千葉では房総半島の急行で使用された。キハ58系では比較的早期の1969年度に冷房化されたが、この時点では4VK電源装置を取り付けていないので、改番はされていない。引き続き晩年まで房総地区の急行で使用された。その後「50-3改正」で房総地区の幹線電化が完成し気動車急行は全廃され千葉気動車区の配置は廃止されたが当車は転用先が決まらず、用途保留のまま一旦木更津気動車区へ1975年5月31日付で転属した。その後用途が決まり1975年11月1日付で秋田へ転属した。4VKを装備していないことから非冷房車扱いで急行「しらゆき」「おが」等で活躍したが、キハ58系冷房化末期の1979年8月14日付で4VK電源装置を取り付け、2121へ改番された。その後は冷房車として扱われ主に急行「しらゆき」用として活躍した。「57-11改正」で急行「しらゆき」が廃止された後も引き続き秋田に留まり、残った急行「むつ」等で使用された。しかし「60-3改正」で急行「むつ」が特急格上げされると余剰となり、1985年3月16日付で山形へ転出した。山形では初期車に代わり急行「月山」「もがみ」等で活躍した。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行「もがみ」が廃止されると余剰となり、1987年2月10日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形である。冷房電源用ジャンパ栓は初期改造車の低い位置のまま残されており、制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパ受栓は、1983年時点ではステップ下部に取り付けられている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンは1983年時点では原形のスリット状カバーのままである。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、ほぼ原形である。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋がビスで止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。


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