キハ28 122



1962年7月4日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で水戸機関区に新製配置された。同一ロット122〜125のうち、122〜124が水戸へ配置された。水戸では急行「ときわ」を中心に「奥久慈」「いわき」「あがの」等の急行で活躍した。同一ロット兄弟の124は後に4VKを搭載する冷房化が行われたが、122・123は非冷房のまま過ごした。「55-10改正」で四国や和歌山地区から短編成化等で捻出された冷房車が水戸へ転入すると当車は余剰となり、玉突きで1980年10月17日付で長野へ転属した。長野ではキハ25やキハ26を置き換え飯山線の普通列車で使用された。しかし国鉄末期に状態のよい冷房車が転入したことから余剰となり、1986年9月3日付で廃車となった。

前面は、前面補強は施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。タイフォンは長野地区特有の形状のスリット式カバーとなっているが、当車はさらにその向きが通常と90度回っておりスリットが横向きになっているという変形車である。テールライトは原形の内ばめ式のままである。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。
側面はほぼ原形である。
屋根上は、原形であるが、常磐無線アンテナの台座が残っている。
床下機器もほぼ原形である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側床下に設置されている。水戸時代より複線用スノープロウを取り付けている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る