キハ28 124 → キハ28 2124



1962年7月4日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で水戸機関区に新製配置された。同一ロット122〜125のうち、122〜124が水戸へ配置された。水戸では急行「ときわ」を中心に常磐線の急行で活躍した。同一ロットの122〜124は晩年まで揃って非冷房のままであったが、当車のみキハ58系冷房化最末期の1980年2月24日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2124へ改番された。冷房化後も引き続き急行「ときわ」「奥久慈」の他、「いわき」「あがの」で活躍した。しかし国鉄末期の「57-11改正」で急行「あがの」「いわき」が廃止された際に捻出され、当車は1982年11月23日付で山形へ転出した。山形では非冷房車に代わり主に急行「月山」「べにばな」「もがみ」で使用され、同急行の冷房化に貢献した。その後急行「もがみ」が廃止された際に多くの仲間が廃車となったが当車は復活した急行「よねしろ」用となり、1986年10月28日付で秋田へ転出した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後も急行色のまま引き続き秋田配置で急行「よねしろ」を中心に使用されたが、急行「よねしろ」のアコモ改造を行うことになった際に当車はその対象から外れたが、引き続き秋田に残留し奥羽本線田沢湖線・男鹿線の普通列車で使用された。1990年7月度に機関が新潟製DMF13HZへ換装され、1993年前後には塗装も「秋田色」へ変更された。しかし1993年より秋田地区に701系電車が投入されると50系客車列車のみならず架線下気動車列車も電車化されて当車は余剰となり、1996年3月29日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すり位置が若干下がっている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは関西地区に準じた、タイフォンとテールライトの間へ移設されている。テールライトは、外ばめ式に改造されている。タイフォンはスリット式カバーのままである。正面窓上の水切り・通風口は左右とも残存している。
側面は、乗降ドア下部に5次車以降に準じ、丸窓が設置されている。機関換装時に給水口が埋められている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。車体中央付近にサボ挿しが追設されているが、位置が車番表記と窓半分ずれている。
屋根上は、水戸時代の冷房化改造でありクーラーの間隔が常磐無線対応になっている。また、常磐無線アンテナの台座も残存しており、JR化後では珍しい形態であった。
床下では、機関は新潟製DMF13HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。水タンクも原形の鋼製タンクのままである。発電動機箱は1位側床下に設置されている。また、山形転出後に複線型スノープロウを取り付けている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る