キハ28 128 → キハ28 2128 → キハ28 5507



1962年7月20日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット126〜130のうち、128〜130が米子へ配置された。米子では山陰本線の急行列車で使用されたが、1967年度には需給の関係で奈良へ転出した。奈良では、奈良線・和歌山線経由の急行「しらはま」等で使用された。関西本線全線電化の1973年には奈良区の急行型配置は和歌山へ集約されることになり、1973年10月1日付で和歌山へ転出した。以降急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行列車で活躍した。キハ58系冷房化では最末期の1980年3月31日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2128へ改番された。冷房化後間もない「55-10改正」で381系増備により急行「きのくに」が削減された際に余剰となり、1980年10月度で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は高山本線の普通列車用となり、1987年12月9日付で富山へ転出し、1987年度には近郊化改造が施工され、1989年6月16日付で「高山色」へ塗装変更された。しかし高山本線での活躍は長くなく、1991年9月1日のダイヤ改正で七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ、金沢地区のキハ58系で車両の入れ替えが発生し当車は余剰となり、播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年2月13日付でロングシート化改造を受け、5507へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「高山色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1994年3月9日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に設置されている。テールライトは運転席側のみ外ばめ式に改造されており、金沢地区のみで見られた形態である。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は1-3位側中央部に移設されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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