キハ28 129 → キハ28 2129


廃車後1988年頃の姿

1962年7月20日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット126〜130のうち、128〜130が米子へ配置された。米子では山陰本線の急行列車で使用されたが、1968年度には需給の関係で梅小路へ転出した。梅小路では主に紀伊半島方面の急行で活躍したが1969年には福知山へ転じている。福知山では急行「丹後」「丹波」等山陰本線東部の急行で活躍した。その後1972年7月26日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2129へ改番された。そして前後して豊岡へ転属している。冷房化後も引き続き丹波・丹後地区で長く活躍したが、国鉄末期の「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が全廃された際に余剰となり、当車は転用されず1987年2月6日付で福知山で廃車となった。

前面は、福知山時代に後藤工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはスリット式のままである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。
側面はおおむね原形である。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下は、4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下に設けられていると思われる。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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