キハ28 130 → キハ28 2130



1962年7月20日帝国車両製の3次車で、昭和36年度第2次債務で米子機関区に新製配置された。同一ロット126〜130のうち、128〜130が米子へ配置された。米子では山陰本線の急行列車で使用されたが、1968年度には需給の関係で福知山へ転出した。福知山では急行「丹後」「丹波」等山陰本線東部の急行で活躍した。その後1975年7月7日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2130へ改番された。冷房化後も引き続き福知山で長く活躍したが、国鉄末期の「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が全廃された際に余剰となり、当車は紀勢東線の普通列車体質改善のため11月3日付で伊勢へ転属した。そしてそのままJR東海に継承された。JR化後は紀勢本線・参宮線で活躍した。1989年3月改正でキハ11が大量投入されJR東海の車齢の高いキハ58系は淘汰されたが当車は幸運にも生き残り、引き続き紀勢本線・参宮線で活躍した。1994年のキハ75の増備によるキハ58系の転配により余剰となり、1994年12月6日付で廃車となった。

前面は、福知山時代に後藤工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはスリット式のままである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。なお当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面はおおむね原形である。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下は、水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下に設けられている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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