キハ28 132 → キハ28 2132 → キハ29 501



1962年6月28日東急車両製の3次車で、昭和36年度第3次債務で岡山気動車区に新製配置された。同一ロット131・132のうち、当車のみ岡山へ配置された。岡山では山陽本線の他津山線・伯備線の横断路線の準急・急行で使用開始した。後に山陽本線は電化により急行が無くなり、主に伯備線や津山線・因美線・姫新線の急行で活躍した。1968年には「ヨンサントオ」改正に伴う移動で米子へ転出したが、翌1969年には需給の関係で鳥取へ転出している。鳥取では主に山陰本線の急行で活躍し、1971年6月25日付けで冷房化及び4VK電源装置取り付けを実施し2132へ改番された。1972年3月のダイヤ改正では山陽新幹線岡山開業に伴い列車運行系統の大幅改正が行われ、当車は需給の関係から向日町運転所へ転出した。向日町では京都から紀伊半島方面の急行「志摩」「しらはま」で活躍するようになった。向日町では国鉄末期まで使用されたが、「59-2改正」で編成の減車が行われると余剰となり、1984年2月5日付で広島へ転出し、同区の若番車と交代した。国鉄最後の「61-11改正」では向日町よりさらに広島へキハ58系の転入が行われ、当車は玉突きで1986年10月31日付で小郡へ転出した。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「さんべ」「ながと」で活躍したが1988年3月には急行の減車が行われ余剰となり波動対応や予備車となっていた。そのためジョイフルトレイン「ビバ ウェスト」の種車として活用されることとなり、1989年7月20日付でキハ29 501へ改造された。改造後も引き続き小郡に配置され、途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部配置となる。最期は老朽化のため、1999年3月31日に廃車となった。

前面は、鋼体への改造を最小限にした改造が施されているが、国鉄時代改造の「ふれあいパル」とは異なり、種車の形態は残していない。
屋根上は、改造時に冷房装置脇の通風器が全て撤去されており、代わりにクーラー間に3基の換気扇が取り付けられている。当車は種車時代からビバウェスト改造後しばらく角型のAU13を搭載しており異彩を放っていたが、晩年は通常のAU13へ載せ替えられていた。ただしルーバーは広島地区では珍しいメッシュタイプのものとなっていた。
側面は、当時のJR西日本で流行した横長の連続風窓に改造されているが、それ以外は比較的原形を保っている。3位側にあった4VK冷房発電装置の吸気口は撤去されている。この種のジョイフルトレインでは前位側の乗降扉を廃止する傾向が多いが、当車は残置したままである。
床下は、前位側にスカートが取り付けられている。水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。後位側では、循環式汚物処理タンクが設置されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1-3位側床下の中央付近へ移設されている。


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