キハ28 138 → キハ28 2138



1962年8月23日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で水戸機関区に新製配置された。同一ロット138〜141のうち、138・139のみ水戸へ配置された。水戸では常磐線の急行「ときわ」の他、水郡線へ直通する「奥久慈」、磐越東線経由の「いわき」等で活躍した。1974年4月18日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2138へ改番されている。水戸では国鉄末期まで長く活躍し、前記急行が廃止の後は主に水郡線の普通列車で使用された。そして国鉄最末期の1987年3月に真岡線のキハ20系置き換えのため真岡支区へ転属し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き真岡線で使用されたが、1988年4月10日付で真岡線は第三セクター化され、同日付で水戸へ戻っている。1990年3月には組織変更で常陸大子運転区配置となったが、1991年には新潟へ状態の良い冷房キハ58系を転出されるため山形・秋田より非冷房キハ28が転入しており、これと入れ替わるように1991年4月2日付で新潟へ転出した。新潟では新潟色へ塗装変更され、また1992年1月にはカミンズ製DMF14HZへの機関更新及び車両更新を実施した。その後も冷房車であることから快速「べにばな」「あがの」主体で運用されたが、1997年に飯山線がキハ110系化された際にキハ52が新津へ転入し、これと入れ替えでキハ58系は余剰となり、2000年6月1日付で廃車となった。

前面は、JR化後の郡山工場で前面補強が施工されており、台座の付いた正面窓下手すりが特徴であるが、台枠付近のアンチクライマーは取り付けられていない。ワイパーはWP50に更新されている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、後期車に準じステップ一体型に改造されている。テールライトは前面補強実施時に外ばめ式に変更されている。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっている。正面窓上の水切りは残置されているが、通風口は左右とも撤去されている。貫通扉は更新時に新品に交換され、窓が金属押さえ式に変更されている。
側面では、乗降ドアが交換され、金属押さえ窓、ドア隅の小窓無し、タブレット保護柵用の窪み無しである。また、乗務員室ドアも交換され、ドアノブが、窪みの中に収まっている。また、客室・常務員共にドア下のくつずり部がステンレスに交換されている。また、当地区では側面ほぼ中央部である、前位側から5枚目と6枚目の間にある窓下にサボ挿しが追設されている(キハ28形の形式・車番表記の場所)が、車番表記が窓半分ずれておりキハ58形と同じ場所に表記されているため、サボ挿しと車番表記がずれている。客室扉戸袋部の点検蓋はキハ40系のような形状に更新されている。乗務員室ドア後部にあったタブレット保護板は撤去されている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。洗面所側は、洗面所が撤去されたのに伴いガラスが通常の透明ガラスに交換され、また臭気抜き窓が撤去されている。便所には汚物処理装置が設置され、その点検蓋が側面に設けられている。乗務員室窓の水切りは当ロットでは原形は側窓上部のみであるが、当車は縦方向に乗務員窓の中央部付近まで延長されており、唯一の存在である。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、クーラー配置が常磐無線対応の位置となっており、クーラー間隔が均等でない。また、中央部のクーラーのみ、ルーバーがメッシュタイプのカバーを装備している。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。ただし位置は前位寄りに移設されている。スノープロウは複線用を取り付けている。油タンクは原形であるが、水タンク新型のFRP製のものに交換されている。後位側に汚物処理装置を装備している。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側助手席床下へ設置されている。後位側に4VK冷房発電ユニットを装備している。


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