キハ28 141 → キハ28 2141



1962年8月23日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で美濃太田機関区に新製配置された。同一ロット138〜141のうち、当車のみ美濃太田へ配置された。美濃太田では高山本線の急行「のりくら」をはじめ、高山本線系統の急行列車をメインに運用された。1970年より長野の担当する急行「きそ」等の冷房化を推進するため当車は1970年度上期に長野へ転出し、転出直後の1970年8月5日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2141へ改番された。以降急行「きそ」「ちくま」「越後」「ゆのくに」で広範囲に活躍した。しかし前記急行が全廃された「53-10改正」で余剰となり、当車は1978年10月2日付で七尾へ転出した。七尾ではそれまでのキハ55系に代わり急行「能登路」で国鉄末期まで活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は高山本線の普通列車用となり、1987年10月28日付で富山へ転出し、1987年度には近郊化改造が施工され、1989年11月10日付で「高山色」へ塗装変更された。高山本線は1992年よりワンマン化されることになり、1991年12月16日付でワンマン改造された。しかし高山本線のJR西日本区間は1996年3月改正でキハ120化され、当車は1996年3月16日付で高岡へ転出した。高岡では運用効率の悪いキサハ34に代わり、氷見線・城端線で使用されるようになった。転属後には「高岡色U-2」へ塗装変更されている。高岡での活躍も長くなく、2000年度末に姫路よりキハ47が高岡に転入した際に余剰となり、2002年3月30日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。運転席側のステップは冷房電源用ジャンパ受栓の上に移設されており、長野の特徴である。放送用ジャンパはワンマン用回路が1本増え、タイフォン横に設けられている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンはスリット式のままである。正面窓上の水切り・通風口は左右とも撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓に水切りが追設されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。ワンマン化改造時にドア付近へスピーカーの取り付けが行われている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっている。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。油タンクは角型の新型に更新されている。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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