キハ28 142 → キハ28 2142



1962年8月28日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で高松機関区に新製配置された。同一ロット142〜145のうち、当車のみが高松へ配置された。高松では四国全域の急行で使用され、四国では比較的晩年の1972年7月18日付に冷房化及び4VK電源装置取り付けで2142へ改番された。当時四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年には高松運転所が手狭になったことから徳島地区の運用が徳島区へ移管されることになり、大半のキハ28が徳島へ転出した。以降は主に急行「阿波」「むろと」「よしの川」で活躍し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は、徳島へも余剰のキハ65が転入してきたことから普通列車での使用が目立つようになり、1988年8月11日付で四国色へ変更された。1989年3月改正で急行が大幅削減された後は普通列車で主に使用されるようになり、1990年8月24日付で近郊化改造された。1993年には大半のキハ28は高知へ集められるようになり、当車は1993年3月23日付で高知へ転出した。高知では土讃本線の普通列車でJR四国のキハ58系末期まで使用された。そして2006年以降キハ58系置き換えのため1500形が投入されると1000形が高知へ転入しはじめ、玉突きで当車は余剰となり2006年9月30日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の通風口と雨どいが撤去されており、晩年の四国地区の標準スタイルである。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。当車は国鉄末期まで徳島配置であり汚物処理装置を取り付けないまま近郊化改造されたため、当然便所部側面にも点検蓋は付いていない。
屋根上は、晩年通風機が交換もしくは撤去される車両が多かった高知車であるが、当車は全ての通風器が残存している。しかし2-4位側の中間の通風器のみが断面5角形の箱型ベンチレーターへ交換されている。
床下は、台車がグレーで塗装されており、1990年代後半以降のJR四国標準である。便所撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側助手席床下へ設置されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る