キハ28 143 → キハ28 2143



1962年8月28日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で都城機関区に新製配置された。同一ロット142〜145のうち、143・144が都城へ配置された。都城では九州南部の急行列車で使用開始したが、同年度中に鹿児島へ移動し、鹿児島本線・日豊本線の幹線急行で活躍した。1964年度には急行「えびの」用として都城へ再度転出したが、1965年には同急行の運用移管により熊本へ転出した。熊本では主に急行「えびの」等で活躍したが、後期車の増備により捻出され、1967年11月20日付で金沢へ転属した。金沢では急行「あさしお」や「ゆのくに」等で活躍したが長続きせず、1968年上期に北海道夏季輸送のため釧路へ転属し、夏季輸送終了後の9月5日付で高松へ転属した。高松では四国全域の急行で使用され、1970年6月28日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2143へ改番された。当時四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年には高松運転所が手狭になったことから徳島地区の運用が徳島区へ移管されることになり、大半のキハ28が徳島へ転出した。以降は主に急行「阿波」「むろと」「よしの川」で活躍した。しかし国鉄最後の「61-11改正」でキハ185系投入により四国内の急行列車が大幅削減されるとキハ65が徳島へ転入し当車は玉突きで余剰となり、JRへ継承されず1986年度末期で廃車された。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、四国標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。当車は徳島配置であり汚物処理装置を取り付けていないため、当然便所部側面にも点検蓋は付いていない。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、後位側に4VK発電セットが搭載されている。水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側助手席床下へ設置されている。


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