キハ28 147 → キハ28 2147



1962年9月1日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で広島運転所に新製配置された。同一ロット146〜149のうち、146・147が広島へ配置された。広島では主に九州直通急行「青島」で使用されたが、勾配を多く抱える急行「青島」ではキハ58増備によりキハ28の転出が行われ、当車は1965年度に岩国へ転出した。岩国では主に芸備線の急行「ちどり」で使用され、1970年5月18日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2147へ改番された。その後も国鉄末期まで岩国に配置され急行「ちどり」で活躍したが、「59-2改正」で岩国機関区が廃止され広島運転所に統合されることになり、1984年2月1日付で広島へ転出した。広島では引き続き急行「ちどり」の他、急行「たいしゃく」等芸備線の急行で使用されたが、「61-11改正」で広島へ汚物処理装置付きのキハ28が各地から転入すると岩国出身で同装置を取り付けられていない当車は捻出され、1986年11月1日付で小郡へ転出した。小郡では急行「さんべ」「ながと」で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後の小郡では塗装を変えながら急行に使用され、まず1990年1月25日付で赤色ベースの広島急行色Tに、1992年度に緑ベースの広島急行色Uに変更された。その後1997年には急行「さんべ」が廃止され、当車を含む急行用車は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され普通列車で使用された。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、小郡時代に幡生もしくは広島で前面補強されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが、運転室窓下の手すり位置は原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に台座付きで設置されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式カバーである。テールライトは原形の内ばめ式のままである。正面窓上の通風口と雨どいは原形のまま残されている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、通風器が全て断面5角形のは小型ベンチレーターに交換されている。その他は標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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