キハ28 148 → キハ28 2148



1962年9月1日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で高松機関区に新製配置された。同一ロット146〜149のうち、148・149が高松へ配置された。高松では四国全域の急行で使用されたが、1966年には千葉地区の夏季輸送に使用され、6月28日付で千葉へ転出し、8月24日付で高松へ戻っている。その後は四国では比較的晩年の1972年7月5日付に冷房化及び4VK電源装置取り付けで2148へ改番された。当時四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年以降大半のキハ28は徳島へ転出したが、当車は引き続き高松で予算本線・土讃本線系統の急行で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行の大幅削減が行われ、当車は徳島の車齢の高いキハ28を置き換えるべく、1986年10月31日付で徳島へ転出し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は、徳島へも余剰のキハ65が転入してきたことから1988年3月改正で松山へ転出し、松山近郊の普通列車で他の気動車に混じり使用された。そして1988年9月29日付で四国色へ変更され、1990年9月11日付で近郊化改造された。1992年7月には予讃線の一部電化が完成し当車は余剰となり、1992年7月10日付で徳島へ転出したが、1993年には大半のキハ28は高知へ集められるようになり、当車は1993年3月15日付で高知へ転出した。高知では土讃本線の普通列車でJR四国のキハ58系末期まで使用された。そして2006年以降キハ58系置き換えのため1500形が投入されると1000形が高知へ転入しはじめ、玉突きで当車は余剰となり2009年3月31日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP35のままであり、運転席窓下の手すりも手を加えられていない。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の雨どいが撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。当車は国鉄末期まで高松へ配置されていたので汚物処理装置を取り付けており、便所側面に点検蓋が取り付けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。
屋根上は、全ての通風器が撤去されている。また、最前位のクーラーがルーバーがメッシュ状のタイプへ交換されており、四国では珍しい。
床下は、台車がグレーで塗装されており、1990年代後半以降のJR四国標準である。便所撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。4次車までの初期車に搭載されているインバーター箱は、1位側助手席床下へ設置されている。当車は汚物処理装置を装備していたが、便所撤去時に併せて撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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