キハ28 153 → キハ28 2153



1962年9月12日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で高松機関区に新製配置された。同一ロット150〜153のうち、152・153が高松へ配置された。高松では四国全域の急行で使用された。当車は四国では晩年の1972年6月23日付に冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い、2153へ改番された。当時四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は次第に比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年以降大半のキハ28は徳島へ転出したが、当車は引き続き高松で予讃本線・土讃本線系統の急行で使用された。しかし国鉄最後の「61-11改正」で急行の大幅削減が行われ、当車は徳島の車齢の高いキハ28を置き換えるべく、1986年10月30日付で徳島へ転出し、そのままJR四国へ継承された。JR化後は、瀬戸大橋開業に伴い四国各地から岡山へ向かう修学旅行用車両の導入が行われ当車がその種車となり、1988年1月18日付で室内のバケットシート化及び内外装のリフレッシュが行われ、塗装も変更された。そして改造後の1月29日付で高松へ転属し、瀬戸大橋開業後は予定通り四国各地から本州へ向かう臨時列車や、急行の増結車等として使用された。しかしキハ185系や2000系の増備により同運用は特急型が行うことになり、また併結する相手の急行列車も削減されたことから早くも用途を失い、1990年11月21日のダイヤ改正で急行「よしの川」を除く急行が全廃され当車は普通列車用に高知へ転属した。高知では土讃線の普通列車で主に使用されたが、1992年3月改正で徳島への1000形増備及び近郊化改造車を巡る車両交換があり、当車は1992年3月14日付で松山へ転属した。しかし松山では1992年7月23日の予讃線電化延伸に伴うダイヤ改正で早くも余剰となり、1992年9月30日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した栓受を使用している。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は国鉄末期まで高松へ配置されていたので汚物処理装置を取り付けており、便所側面に点検蓋が取り付けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、床下の水タンクが後期のキロ28及びモデルチェンジキハ28と同様の旧型のFRP製のものに交換されており、平窓キハ28では大変珍しい。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側助手席床下へ設置されている。当車は汚物処理装置を装備している。


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