キハ28 155 → キハ28 2155



1962年10月17日東急車両製の4次車で、昭和37年度本予算で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット154〜156全車が名古屋へ配置された。名古屋では高山本線の急行「のりくら」をはじめ、紀勢本線の急行「紀州」等、名古屋を発着する急行で活躍した。1969年より松本の担当する急行「アルプス」の冷房化を推進することになり、当時松本へ新製されたキハ28 2505〜2508を補充するため1969年度上期に松本へ転出した。転出直後の1970年2月25日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2155へ改番された。以降急行「アルプス」で活躍したが、当時中央本線は全線電化されており、「50-3改正」で全電車化されることから1975年3月11日付で長野へ転出した。長野では急行「きそ」「ちくま」「越後」「ゆのくに」で広範囲に活躍した。しかし前記急行が全廃された「53-10改正」で余剰となり、当車は同改正直後に七尾へ転出した。七尾ではそれまでのキハ55系に代わり急行「能登路」で国鉄末期まで活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は高山本線の普通列車用となり、1987年9月29日付で富山へ転出し、1987年度には近郊化改造が施工され、1988年年度に「高山色」へ塗装変更された。高山本線は1992年よりワンマン化されることになり、1992年3月11日付でワンマン改造された。しかし高山本線のJR西日本区間は1996年3月改正でキハ120化され、当車は1996年3月16日付で高岡へ転出した。高岡では運用効率の悪いキサハ34に代わり、氷見線・城端線で使用されるようになった。転属後には「高岡色U-2」へ塗装変更されている。高岡での活躍も長くなく、1999年10月に舞鶴線電化により福知山からモデルチェンジ車のワンマン車が転入すると余剰となり、2000年3月31日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置に設置されている。放送用ジャンパはワンマン用回路が1本増え、タイフォン横に設けられている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の水切り・通風口は左右とも撤去されている。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓に水切りが追設されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。ワンマン化改造時にドア付近へスピーカーの取り付けが行われている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房改造車の形態で特筆すべき点はない。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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