キハ28 157 → キハ28 2157



1963年1月16日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で美濃太田機関区に新製配置された。同一ロット157〜160のうち、当車のみが美濃太田へ配置された。美濃太田では高山本線の急行「のりくら」「しろがね」「こがね」の他、中央本線の急行「きそ」、紀勢本線の「紀州」、山陰方面の「大社」等広範囲で活躍した。1973年にはほぼ同じ範囲をカバーしていた名古屋との間で車両交換があり、その後1973年8月24日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2157へ改番された。その後も名古屋を起点とする急行で長く活躍し、1976年10月1日には車両交換で再び美濃太田へ移動した。その後「57-11改正」で急行「大社」が廃止されて余剰となり、11月25日付で山形へ転出した。山形では「57-11改正」以降残った急行の冷房化を推進しており、急行「月山」「もがみ」で使用された。その後急行「もがみ」が廃止された際に多くの仲間が廃車となったが当車は「月山」用として生き残り、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も急行色のまま引き続き山形配置で急行「月山」に使用されたが、1990年より始まったキハ110系投入による車両転配の際に急行「よねしろ」用として活用されることになり、1991年9月4日付で秋田へ転属した。転出後は1992年1月24日付で更新工事が施工され、機関のコマツ製DMF11HZへ換装やアコモ改造、便所の撤去等の急行「よねしろ」用改造が行われた。その後は同急行で長く活躍した。しかし2002年12月1日のダイヤ改正で急行「よねしろ」は快速へ格下げされ、引き続き同快速でしばらく活躍したが、2008年3月15日のダイヤ改正では同快速も廃止され、2008年7月5日付で廃車となった。

当車は晩年は急行「よねしろ」で活躍したが、キハ28は基本的に中間に入っており、前面を拝むのは予備の2両で臨時列車等に充当される際くらいで、難しかった。
前面は、名古屋時代に前面補強されているが、後年補強板の境界が平滑に仕上げられており、形状がよくわからない。ワイパーは原形のWP35のままであるが、前面窓下の手すりは左右とも若干下がっている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されているが、更新時に台座が撤去されている。テールライトは美濃太田時代に外ばめ式に改造されている。タイフォンは更新時にシャッター式に改造されている。正面窓上の水切り・通風口は左右とも撤去されている。
側面は、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車同様、キハ40系のようなタイプに変更されている。車体側面にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋は設置されていない。アコモ改造時に、行先方向幕が左から2つ目の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。当車は側面にあった4VK用吸気口が埋められ存在しない。
屋根上はアンテナ類が設置されている以外は、標準的な冷房車の形態である。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ更新されている。油タンクは原形のままである。更新時に便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのまま残置されている。タンク自体はFRP製の新型のものである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側助手席床下へ設置されている。


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