キハ28 158 → キハ28 2158



1963年1月16日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で梅小路機関区に新製配置された。同一ロット157〜160のうち、当車のみが梅小路へ配置された。梅小路では主に京都から紀伊半島方面へ向かう急行「志摩」「しらはま」で使用された。1967年には向日町運転所開設に伴い当区へ移動するが、引き続き同列車で活躍した。1973年度には編成見直しで 美濃太田へ転出し、名古屋を基点とする急行「のりくら」の他、中央本線の急行「きそ」、紀勢本線の「紀州」、山陰方面の「大社」等広範囲で使用されるようになった。美濃太田ではキハ58系冷房化最末期の1977年7月22日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2158へ改番された。1980年以降は急行「のりくら」等の高山本線急行をメインの活躍場とした。1986年10月28日には、越美南線の廃止や急行の削減により所要数が減ることから、若番車が多かった七尾機関区へ転出し、同区の若番車と交代し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1987年度に近郊化改造され、1990年2月16日には塗装も七尾普通色となり、普通列車で使用された。1991年9月の七尾線電化に伴いワンマン化の上高岡鉄道部へ転出し、当初水色とピンク帯の「高岡色T」となり氷見・城端線のワンマン列車で使用されるようになった。その後高岡の塗装はキサハ34を組み込んだ編成と合わせることになり白色ベースの「高岡色U」へ変更された。その後は2000年頃から赤色ベースの高岡色Vへ変更された。しかしながら氷見・城端線は各地からの余剰キハ40系により徐々にキハ58系は置き換えられ、当車は老朽化により2007年3月9日付で廃車となった。

前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのスリット状であるが、助手席側には金沢地区特有の傘状のカバーが取り付けられている。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置は、名古屋地区標準で左右離れた位置へ設置されている。正面窓上の水切り・通風口は左右とも撤去されている。放送用ジャンパはワンマン用回路が1本増え、ステップ下に設けられている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓に水切りが追設されている。乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっているのは、後年の金沢地区の特徴。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっており、名古屋の特徴である。当車はカセット式汚物処理装置取り付けに伴い、便所部側面に点検蓋が設けられている。また4VK冷房発電セット取り付け時に、3位側側面に吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。油タンクは角型の新型に更新されている。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4VK発電セットが取り付けられている。後位側にはカセット式の汚物処理装置が取り付けられている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、現在確認できる資料では見当たらない。


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