キハ28 159 → キハ28 2159



1963年1月16日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で多治見機関区に新製配置された。同一ロット157〜160のうち、当車のみが多治見へ配置された。多治見では中央本線の多治見起点とする急行「きそ」を中心に活躍を開始したが、1968年には美濃太田機関区の気動車基地が拡充され収容量数が増えたことから、同年度中に美濃太田へ転出した。美濃太田では引き続き急行「きそ」の他、急行「のりくら」等名古屋を起点とする急行で活躍した。1974年5月24日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けが行われ2159へ改番された。1976年10月のダイヤ改正では長崎本線電化により長崎から名古屋地区へ転入した関係で名古屋との間で車両交換があり、1976年10月1日付で名古屋へ転出した。以降引き続き急行「のりくら」の他急行「紀州」などで活躍した。「53-10改正」では中部地区の車輛の大幅な転配が行われたが、この際に車両交換で1978年10月度で再び美濃太田へ転出した。1980年以降は急行「のりくら」等の高山本線急行をメインの活躍場とした。1986年10月28日には、越美南線の廃止や急行の削減により所要数が減ることから、若番車が多かった七尾機関区へ転出し、同区の若番車と交代し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は1987年度に近郊化改造され、1989年7月14日には塗装も七尾普通色となり、普通列車で使用された。1991年9月の七尾線電化に伴い小浜鉄道部へ転出し、水色ベースの「小浜色」となった。これに先立ち1991年6月8日付でワンマン化されている。以降小浜線・舞鶴線のワンマン普通列車で活躍したが、1999年の舞鶴線電化により活躍の場が狭まり、末期には2003年に開催された「若狭路博」のラッピング車となった。しかしこの当時にはすでに小浜線の電化は決まっており、2003年3月15日の小浜線電化で用途を失い、2003年9月12日付で廃車となった。

前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンはスリット式カバーである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置は、名古屋地区標準で左右離れた位置へ設置されている。正面窓上の水切り・通風口は左右とも撤去されている。
側面では、前面窓から延びる水切りが撤去され、乗務員室窓に水切りが追設されている。ワンマン化に伴い、最前部の側窓下と、後位側の便所臭気抜き窓下に、ワンマン用スピーカーを備える。乗降扉戸袋部の点検蓋は、後期車同様の横長の大型のものになっており、名古屋の特徴である。当車はカセット式汚物処理装置取り付けに伴い、便所部側面に点検蓋が設けられている。また4VK冷房発電セット取り付け時に、3位側側面に吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器が断面5角形の箱型ベンチレーターに交換されている。またクーラーはメッシュ状ルーバーとスリット状ルーバーのAU13が混在している。
床下機器はすべて灰色で塗装されているのは晩年の金沢地区の特徴である。油タンクは角型の新型に更新されている。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4VK発電セットが取り付けられている。後位側にはカセット式の汚物処理装置が取り付けられている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、現在確認できる資料では見当たらない。


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