キハ28 163 → キハ28 2163 → キハ28 5508



1963年1月23日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット161〜164全車が名古屋へ配置された。名古屋では急行「のりくら」「紀州」「きそ」等、名古屋を起点とする急行で広範囲で活躍を開始した。名古屋では比較的長く活躍したが1971年度には需給の関係で隣の美濃太田へ転属し、引き続き名古屋を起点とする急行で活躍した。1972年10月31日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2163へ改番されたが、改造直後の1972年11月21日付で金沢へ転出している。金沢では北陸本線の急行「ゆのくに」の他、急行「大社」の付属編成などで活躍しており、幹線急行が多かったため冷房車の割合が高かった。その後は「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、金沢担当のキハ58系運用は廃止され当車は1978年10月2日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系や非冷房キハ58系に代わり急行「能登路」で活躍を開始した。この状態は長く続きそのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車専属となり、1987年度に近郊化改造され、1988年度には「七尾普通色」へ塗装変更された。その後1991年9月1日のダイヤ改正では七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ七尾の気動車配置は廃止され、当車は播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年2月28日付でロングシート化改造を受け、5508へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾普通色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1993年10月30日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、金沢時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転室窓下の手すりが撤去されており、金沢地区特有の形態である。当車は標識灯掛け横の小手すりの位置が助手席側のみ若干低い変形車である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。また当車は5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が後年設けられており、晩年までそのままであった。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、クーラーはメッシュタイプのルーバーのものが取り付けられている。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る