キハ28 164 → キハ28 2164



1963年1月23日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で名古屋第一機関区に新製配置された。同一ロット161〜164全車が名古屋へ配置された。名古屋では急行「紀州」「のりくら」「きそ」等、名古屋を起点とする急行で幅広く活躍した。その後1972年12月12日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2164へ改番された。冷房化後も引き続き名古屋で活躍したが、「53-10改正」では中部地区の急行が大幅に削減され車両の移動も大幅に行われ、当車は1978年10月2日付で美濃太田へ転属している。美濃太田では引き続き急行「のりくら」で活躍したが、急行の削減に伴い次第に普通列車でも使用されるようになっていた。国鉄最後の「61-11改正」では急行「のりくら」の運用が名古屋へ移管され、当車も1986年10月30日付で名古屋へ転属し、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き急行「のりくら」及び武豊線で使用されたが、キハ11が大量投入された1989年3月改正で、美濃太田区のキハ58系後期車が名古屋・伊勢へ転出し、代わりに比較的初期車が美濃太田へ予備車として集められることになり、1989年2月13日付で美濃太田へ転属した。美濃太田では、キハ40系の冷房化改造の予備車として、高山本線・太多線の普通列車で活躍した。1991年には伊勢・名古屋区との間でキハ40系との車両交換があり当車は名古屋へ転属した。名古屋では武豊線の普通列車の他快速「みえ」の増結や臨時急行「エメラルド」等で活躍したが、1992年10月には武豊線のワンマン化に伴う車両交換があり、当車は10月12日付で美濃太田へ戻った。美濃太田ではキハ40系冷房改造の予備車として及びごく少数残ったキハ58系運用で高山本線で活躍したが、キハ40系の冷房改造も完了し所要数が減少したことから1994年12月27日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に名古屋工場で前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。制御ジャンパ受栓はタイフォン下部で左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に台座付きで設置されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、外ばめ式に改造されている。
側面はおおむね原形である。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。また当車は5次車以降と同様、乗降ドア下部隅に丸窓が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下は、水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、4位側デッキ床下に設けられている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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