キハ28 165 → キハ28 2165



1963年1月31日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で米子機関区に新製配置された。同一ロット165〜168のうち、165〜167が米子へ配置された。米子では山陰本線の急行列車で使用されたが、1964年度に車両増備及び運用移管で福知山へ転属した。福知山では山陰本線東部・福知山線系統の急行で長く活躍した。1972年7月26日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い2165へ改番されたが、1972年度末で福知山配置車の一部が豊岡へ分散されることになり、当車も豊岡へ転属した。以降豊岡配置で急行「丹後」「丹波」「但馬」で活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で福知山線電化により急行「丹波」が廃止され「但馬」も縮小されると余剰となり、JRに継承されず1987年2月6日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場で前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。また当車は5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が後年設けられている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であり特筆すべき点はない。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。後位側に4VK発電セットが搭載されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側助手席床下に移設されている。


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