キハ28 166 → キハ28 2166 → キハ28 5509



1963年1月31日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で米子機関区に新製配置された。同一ロット165〜168のうち、165〜167が米子へ配置された。米子では山陰本線の急行列車で使用されたが、1968年度には需給の関係で鳥取へ転属し、引き続き山陰本線の急行「白兎」を中心に活躍した。1971年7月24日付で冷房化及び4VK冷房電源取り付けを行い、キハ28 2166へ改番されたが、改造直後の「72-3改正」で需給の関係で宮原へ転出している。宮原では急行「丹波」や高山本線直通の急行「くろゆり(たかやま)」、姫新線の急行「みまさか」、急行「ちくま」の付属編成等広範囲で使用された。その後は「53-10改正」で中央本線の急行が大幅に廃止されこれに伴い中部地区のキハ58系に大きな動きが発生し、気動車急行「ちくま」が廃止された関係で当車は1978年9月30日付で再び鳥取へ転出した。鳥取では急行「白兎」の他、「みささ」「但馬」「砂丘」等で活躍した。国鉄末期の「60-3改正」では急行「みささ・みまさか」の減便及び山陰本線西部の急行整理が行われ余剰となり、1985年6月5日付で七尾へ転出した。七尾では初期車に代わり急行「能登路」や七尾線の普通列車で活躍したが、程なく需給の関係で小浜線用として使用されることとなり、1986年2月26日付で敦賀へ転出した。敦賀では小浜線の急行「丹後」「わかさ」「はしだて」の他小浜線の普通列車で活躍するようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車用となり、1987年度に近郊化改造され1988年11月25日付で青色ベースの「小浜色」へ変更され小浜線・舞鶴線の普通列車で活躍した。1991年4月1日で小浜鉄道部が発足したが、当車は今後の需給の関係から七尾へ転出し、七尾線の普通列車で使用されるようになった。1991年9月1日のダイヤ改正で七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ、七尾の気動車配置は廃止され当車は余剰となり、播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1991年12月20日付でロングシート化改造を受け、5509へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「小浜色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1994年3月23日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、鳥取時代に後藤工場で前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは左右とも外ばめ式に改造されている。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。また当車は5次車以降に準じ乗降扉下部隅に丸窓が後年設けられており、晩年までそのままであった。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、確認できる資料では見当たらない。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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