キハ28 168 → キハ28 2168



1963年1月31日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で新潟運転所に配置された。同一ロット165〜168のうち、当車のみ新潟へ配置された。新潟では急行「いいで」「羽越」等で活躍したが、1964年に新潟へ長大編成用キハ28が転入すると玉突きで同年度中に水戸へ転出した。水戸では常磐線の急行「ときわ」の他、水郡線へ直通する「奥久慈」、磐越東線経由の「いわき」等で活躍した。水戸では長らく非冷房のまま活躍したが、キハ58系冷房化末期の1978年6月15日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2168へ改番されている。水戸では国鉄末期まで長く活躍し、前記急行が廃止の後は主に水郡線の普通列車で使用された。そして国鉄最末期の1987年3月に真岡線のキハ20系置き換えのため真岡支区へ転属し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き真岡線で使用されたが、1988年4月10日付で真岡線は第三セクター化され、同日付で水戸へ戻っている。1990年3月には組織変更で常陸大子運転区配置となったが、1991年には新潟へ状態の良い冷房キハ58系を転出されるため山形・秋田より非冷房キハ28が転入しており、これと入れ替わるように1991年4月2日付で新潟へ転出した。新潟では新潟色へ塗装変更され、また1992年1月にはカミンズ製DMF14HZへの機関更新及び車両更新を実施した。その後も冷房車であることから快速「べにばな」「あがの」主体で運用されたが、1997年に飯山線がキハ110系化された際にキハ52が新津へ転入し、これと入れ替えでキハ58系は余剰となり、2000年6月1日付で廃車となった。

前面は、水戸時代に前面補強されている。ワイパーはWP50に更新されており、それにともない運転室側の手すりの位置が下がっている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に設置されている。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。テールライトは外ばめ式に改造されている。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっている。正面窓上の水切りは残置されているが、通風口は左右とも撤去されている。デフロスタは水戸地区特有の、左右に取付金具が付いたタイプを取り付けている。貫通扉は更新時に新品に交換され、窓が金属押さえ式に変更されている。
側面では、乗降ドアが交換され、金属押さえ窓、ドア隅の小窓無し、タブレット保護柵用の窪み無しである。また、乗務員室ドアも交換され、ドアノブが、窪みの中に収まっている。また、客室・常務員共にドア下のくつずり部がステンレスに交換されている。また、当地区では側面ほぼ中央部である、前位側から5枚目と6枚目の間にある窓下にサボ挿しが追設されている。客室扉戸袋部の点検蓋はキハ40系のような形状に更新されている。乗務員室ドア後部にあったタブレット保護板は撤去されている。JR東日本のエンジン換装車共通で、側面の機関冷却水給水口が埋められている。洗面所側は、洗面所が撤去されたのに伴いガラスが通常の透明ガラスに交換され、また臭気抜き窓が撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、クーラー配置が常磐無線対応の位置となっており、クーラー間隔が均等でない。また、当車は非常に個性的で、一世代昔の角型AU13クーラーが乗っている異端車である。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。ただし位置は前位寄りに移設されている。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンクは原形であるが、水タンク新型のFRP製のものに交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側側面中央部に設置されている。後位側に4VK冷房発電ユニットを装備している。


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