キハ28 169 → キハ28 2169 → キハ28 5510



1963年2月8日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で新潟運転所に新製配置された。同一ロット169〜172のうち、169・170が新潟へ配置された。新潟では急行「いいで」「羽越」等で活躍したが、勾配路線が多いためキハ28よりキハ58が求められ、キハ58の増備に伴い1965年11月30日付で水戸へ転出した。水戸では常磐線の急行「ときわ」の他、水郡線へ直通する「奥久慈」、磐越東線経由の「いわき」等で活躍したが、需給の関係で1966年度には千葉へ転属している。千葉では房総各線の準急・急行で活躍した。千葉では長く活躍し、1972年7月1日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2169へ改番された。1974年10月には総武本線の全線電化が完成しこれを受け「50-3改正」で千葉地区の急行は全廃され、当車は1975年3月18日付で名古屋へ転出した。名古屋では残存していたキハ55系を駆逐し名古屋起点の急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍し、1976年10月のダイヤ改正では急行「のりくら」の運用変更が行われ当車は美濃太田へ転属した。美濃太田では急行「のりくら」を中心に名古屋を起点とする急行で長く活躍した。国鉄末期の「61-11改正」では急行の見直し及び越美南線の第三セクター化を見据えた転配が行われ、当車は1986年10月30日付で七尾へ転出した。七尾では急行「能登路」の他七尾線の普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車用となり、1987年度に近郊化改造され1988年度で「七尾普通色」へ変更され七尾線・能登線の普通列車で活躍した。1991年9月1日のダイヤ改正で七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ、七尾の気動車配置は廃止され当車は余剰となり、播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1991年12月12日付でロングシート化改造を受け、5510へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾普通色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1993年9月8日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年4月19日付で廃車となった。

前面は、美濃太田時代に名古屋工場で前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新され、それに伴い運転台側正面窓下手すり位置が下がっている。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは左右とも外ばめ式に改造されている。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、確認できる資料では見当たらない。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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