キハ28 171 → キハ28 2171



1963年2月8日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で宮原機関区に新製配置された。同一ロット169〜172のうち、171・172が宮原へ配置された。宮原では中央本線・北陸本線の急行の他、姫新線経由の「みささ・みまさか」で使用されたが、この運用の一部が岡山へ移管される関係で1964年度に岡山へ転属した。その後は主に伯備線や津山線・因美線・姫新線の急行で活躍した。1975年9月16日付けで冷房化及び4VK電源装置取り付けで2171へ改番され主に急行「伯耆」「砂丘」「みささ」で活躍した。「57-7改正」で伯備線電化により急行「伯耆」が廃止された後は「砂丘」の増強に回ったが、「60-3改正」で急行「みささ・みまさか」の減便が行われた際に岡山の所用数が減少し余剰となり、1985年4月17日付で徳島気動車区へ転出した。徳島には若番車が多く集まっており、これらの置き換えに使用された。徳島では高徳本線の急行「阿波」「むろと」を中心に、急行「よしの川」で国鉄末期まで使用され、そのままJR四国へ継承された。JR化後は、徳島へも余剰のキハ65が転入してきたことから1988年4月4日付けで松山へ転出し普通列車で他の気動車に混じり使用された。そして1988年12月9日付で四国色へ変更され、1990年12月8日付で近郊化改造された。1992年7月には予讃線の一部電化が完成し当車は余剰となり、1992年7月24日付で徳島へ転出したが、1993年には大半のキハ28は高知へ集められるようになり、当車は1993年3月28日付で高知へ転出した。高知では土讃本線の普通列車でJR四国のキハ58系末期まで使用された。そして2006年以降キハ58系置き換えのため1500形が投入されると1000形が高知へ転入しはじめ、玉突きで当車は余剰となり2006年9月30日付で廃車となった。

前面は、岡山時代に高砂工場で関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50に更新されているが、正面窓下手すりは原形の位置のままで、四国転入後のワイパー更新である。制御用KE53ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置されている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の雨どいが・通風口とも残存しており、2000年以降のJR四国のキハ58系では珍しい。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。また側面乗降扉の戸袋点検蓋が、後期車と同様の横長の大型のものに更新されている。
屋根上は、全ての通風器が原形のまま残っており、2000年以降のJR四国では珍しい。
床下は、台車がグレーで塗装されており、1990年代後半以降のJR四国標準である。便所撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、現在確認できる資料では見当たらない。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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