キハ28 174 → キハ28 2174



1963年2月18日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で秋田機関区に新製配置された。同一ロット173〜176のうち、173・174が秋田へ配置された。秋田では奥羽本線系統の幹線急行で運用を開始した。1967年10月には運用移管で盛岡へ転出し、東北本線系統の急行で活躍するようになった。1972年には急行「しらゆき」の一部冷房化を行うことになり当車もその対象となり、1972年7月15日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2174へ改番された。そして担当区である青森へ移動したが、1973年には青森区の急行型配置が廃止され、急行「しらゆき」の運用は秋田に移管され1973年10月1日付で秋田へ転出した。その後も引き続き急行「しらゆき」で活躍したが、国鉄末期の「57-11改正」で廃止され当車も余剰となり、11月20日付で山形へ転出した。山形では「57-11改正」以降残った急行の冷房化を推進しており、急行「月山」「もがみ」で使用された。その後急行「もがみ」が廃止された際に多くの仲間が廃車となったが当車は「月山」用として生き残り、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も急行色のまま引き続き山形配置で急行「月山」に使用されたが、急行「月山」のアコモ改造を行うことになり当車がその対象となり、1991年9月7日付で機関更新・車体更新・アコモ改造等徹底的な体質改善工事が施工された。急行「月山」は同じアコモ改造車のキハ58形と組んで使用されていたが、快速格下げとともに指定席車のみがアコモ車という編成に改められ、すべでのアコモ改造キハ28は快速「南三陸」の指定席設定のため移動することになり、1993年12月1日付で小牛田へ転出した。小牛田では他のキハ58系と組み快速「南三陸」専属で使用された。当車はキハ58系末期まで使用されていたが、イベントの目玉として当時盛んに塗り戻されていた急行色ではなく、「修学旅行色」に身を包まれ最後まで活躍した。そして2009年1月14日をもって廃車となった。

前面は、山形時代に前面補強されているが、補強板の境界が平滑に仕上げられており、形状がよくわからない。ワイパーは原形のWP35のままであり、前面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の水切りは残存しているが通風口は左右とも撤去されている。
側面は、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車同様、キハ40系のようなタイプに変更されている。車体側面にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋は設置されていない。アコモ改造時に、行先方向幕が左から2つ目の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。
屋根上はJR東日本では唯一、通風機が断面5角形の箱型通風器へ交換されている。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ更新されている。油タンクは角型のものに更新されている。更新時に便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのまま残置されている。タンク自体は原形の鋼製のものである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側、4VKと油タンクの間付近に設置されている。当車は機関換装時に、機関予熱器が後期ロットと同じものに交換されている。また、当車は後年の郡山工場担当車両標準で、床下機器がグレーで塗装されている。


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