キハ28 175 → キハ28 2175



1963年2月18日東急車両製の4次車で、昭和37年度民有債で千葉気動車区に新製配置された。同一ロット173〜176のうち、175・176が千葉へ配置された。千葉では房総地区全域の急行・準急で使用されることとなった。千葉では電化の進展後も引き続き活躍し、1970年度に冷房化が行われたが4VK発電ユニットの搭載はされなかった。房総地区幹線電化の完成した「50-3改正」では気動車急行が全廃され、1975年4月3日付で豊岡へ転属した。豊岡では暫く4VKを搭載しないまま急行「丹後」「丹波」で活躍したが、1977年3月4日付で4VKの搭載が行われ、2175へ改番された。以降も引き続き豊岡で活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」では福知山線電化により急行「丹波」が全廃された際に余剰となり、当車は紀勢東線の普通列車体質改善のため11月5日付で伊勢へ転属した。そしてそのままJR東海に継承された。JR化後は紀勢本線・参宮線で活躍したが、JR東海では1989年3月改正でキハ11を大量投入により老朽気動車の淘汰を早くも実施し、当車は1989年9月7日付で廃車となった。

前面は、豊岡時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは山陰地区では珍しくWP35のままであるが、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、福知山・豊岡地区特徴の、タイフォンの上部付近へ移設されている。タイフォンカバーはスリット式のままである。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。また当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。千葉標準形態の運転席側窓バランサー点検蓋が追設されている。
屋根上は、一般的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下では、1位側助手席床下に発電動機箱が設置されている。2000番台であり後位側に4VK発電セットを取り付けている。当車は床下水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。


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