キハ28 177 → キハ28 2177 → キハ28 5511



1963年3月11日東急車両製の4次車で、昭和37年度第1次債務で小牛田機関区に新製配置された。同一ロットは当車のみである。小牛田では主に仙台を起点とする東北北部の急行で主に活躍した。1963年度には需給の関係で郡山へ転出し、郡山では主に急行「いいで」等で活躍したが、1964年度には車両交換で再び小牛田へ戻り、急行「千秋」「たざわ」等で活躍している。1970年10月1日には需給の関係で新潟へ転属し、比較的勾配の少ない急行「うおの」「よねやま」「羽越」等で活躍したが、1972年には車両交換で千葉へ転属することとなり1972年7月2日付で移動した。そして1972年9月9日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2177へ改番された。1974年10月には総武本線の全線電化が完成しこれを受け「50-3改正」で千葉地区の急行は全廃され、当車は1975年3月18日付で名古屋へ転出した。名古屋では残存していたキハ55系を駆逐し名古屋起点の急行「のりくら」「紀州」「きそ」等で活躍した。その後は急行「きそ」「紀州」が廃止され「のりくら」のみで活躍していたが、国鉄末期の「61-3改正」では急行の編成見直しが行われ、当車は1986年3月7日付で七尾へ転出した。七尾では初期車に代わり急行「能登路」の他七尾線の普通列車で使用され、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は普通列車用となり、1987年度に近郊化改造され1988年度で「七尾普通色」へ変更され七尾線・能登線の普通列車で活躍した。1991年9月1日のダイヤ改正で七尾線の和倉温泉までの電化及び以遠の第三セクター化が行われ、七尾の気動車配置は廃止され当車は余剰となり、播但線・姫新線の客車置き換えに転用されることとなり、1992年2月15日付でロングシート化改造を受け、5511へ改番されて姫路へ配置された。姫路では当初「七尾普通色」のまま活躍しまだら塗装で話題となったが、1993年8月28日付で新たに制定された「姫路色」へ変更された。その後も播但線・姫新線で活躍したが、需要の拡大とキハ58系の老朽化により播但線の電化が行われることになり、1998年3月ダイヤ改正で電化されキハ58系5500番台は余剰となり、1999年3月31日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に名古屋工場で前面補強されている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパは、ステップ下部に台座付きで設置されている。テールライトは左右とも外ばめ式に改造されている。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切りは撤去されているが、通風口は残存している。当車は千葉時代のヘッドマークステイを貫通扉に残している。
側面は、前面窓から延びる水切りが撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋が溶接で止められている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、確認できる資料では見当たらない。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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