キハ28 179



1963年3月15日東急車両製の4次車で、昭和37年度第1次債務で小牛田機関区に新製配置された。同一ロット178・179両車とも小牛田に配置された。小牛田では主に仙台を起点とする東北北部の急行で主に活躍した。1963年度には需給の関係で山形へ転出し、急行「ざおう」「出羽」等で活躍したが、1964年度には車両交換で盛岡へ転属し、急行「陸中」等で活躍するようになった。その後も転属が多く、「ヨンサントオ」の改正で需給の関係から弘前へ転属し急行「深浦」等で使用されたが、1970年度には再び盛岡へ転属している。1974年3月25日付では冷房車との交換があり当車は秋田へ転属し、急行「おが」「しらゆき」をはじめとし、奥羽本線・羽越本線の急行で活躍した。秋田では長く活躍し国鉄末期まで使用され、東北新幹線開業に伴う「57-11改正」では急行の削減により大幅な車両転配が行われる当車は引き続き秋田に残留し、主に普通列車で活躍するようになった。国鉄末期には需給の関係及び車両交換により転属が続き、1984年2月1日付で山形へ、1985年3月14日付で再び秋田へ、1986年3月3日付で弘前へ、そして1986年10月30日付で山形へ転属した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は山形配置で奥羽本線・左沢線・陸羽西線を中心に普通列車で使用された。1989年12月14日にはキハ58系のエンジン換装に伴う予備車として秋田へ転属し、奥羽本線・男鹿線を中心に普通列車で活躍した。そしてキハ58系のエンジン換装が終盤になったこと、キハ110系投入による車両の転入によって余剰となり、1992年7月1日付で廃車となった。

前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転室窓下の手すりも原形のままである。正面窓上の水切り・通風口は原形のままである。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。当車は山形時代に快速「いでゆ」用のヘッドマークステイを取り付けている。
側面はほぼ原形のままであるが、国鉄秋田時代に汚物処理装置を取り付けていたため、側面に点検蓋が設けられている。
屋根上は、原形のままである。
床下機器は、ほぼ原形のままである。スノープロウは単線用を取り付けている。


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