キハ28 188 → キハ28 2188



国鉄〜JRで数少ない車籍復活車。

1963年4月16日東急車両製の4次車で、昭和37年度第1次債務で小牛田機関区に新製配置された。同一ロット188・189両車とも小牛田へ配置された。小牛田では急行「三陸」等の東北本線の幹線急行で活躍し、東北本線の電化が進展すると急行「陸中」など主に仙台以北の東北北部方面への幹線急行で使用された。1969年度には需給の関係で尻内(後の八戸)へ転属し、主に急行「なつどまり」「深浦」で活躍するようになった。この状態は長く続いたが、「53-10改正」で、中部地区の急行が大幅削減された際に名古屋から八戸へキハ58 789が転入し、これと玉突きで当車は余剰となる。そして1978年10月5日付で遠く浜田へ転属した。浜田へは同時期に他区から非冷房のキハ28が転入しており、主にローカル急行の「石見」等で使用された。その後キハ58系冷房化最末期の1979年12月20日付で冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ、2188へ改番された。冷房化後は急行「だいせん」でも使用され、山陰本線全域で使用されたが、「60-3改正」で山陰本線西部の急行が大削減され急行「石見」も廃止された際に余剰となり、1985年3月22日付で志布志へ転属した。志布志には当時数少なくなっていたキハ26や初期型のキハ20が大量に残っており、これらを淘汰するための転属であった。しかしながら国鉄末期の1987年3月までに志布志線・大隅線は廃止となり当車はJRへの継承車両とはならず、1987年3月14日付で一旦廃車となった。その後は解体待ちで引き続き留置されていたが、JR化後の旺盛な需要に応えるべく増発や増結が行われ、また冷房が使用できるキハ58系は重宝されることから1988年5月30日付でJR九州で車籍復活し、鹿児島運転所へ配置された。復籍整備の際には九州色へ変更されている。以降鹿児島配置で指宿枕崎線や肥薩線・吉都線で活躍した。1994年より日南線でワンマン運転を開始することになった際にはその種車となり、1994年2月2日付で近郊化改造及びワンマン改造を施工した。そして宮崎をベースに日南線で運用され、再び志布志へ顔を出すようになった。この日南線が最後の活躍路線となり、2001年10月に筑豊本線・篠栗線が電化された際に大幅な車両転配が行われ日南線へキハ31・47が転入した際に余剰となり、2002年3月22日付で廃車となった。

正面形態は浜田時代の面影を残しており、JR九州では珍しい存在である。
前面は、前面補強が施工されていない。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換された後藤工場標準スタイル。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、晩年まで後藤工場標準の位置にあったが、末期には運転席側のステップの位置が若干上へ移動している。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型の受栓となっている。タイフォンカバーは、原形のスリット式カバーである。正面窓上の雨どいが撤去されており、鹿児島地区の標準スタイルであるが、通風口は残っている。また、鹿児島地区では降灰の関係上デフロスタを装備している。鹿児島地区標準のフック式のヘッドマークステイが貫通扉に取り付けられている。
側面は、近郊化改造が施工されているので、洗面所が撤去されており、当該箇所の臭気抜き窓がなくなっている。当車は乗降扉戸袋点検蓋が後期車に準じた大型のものに更新されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、全ての通風器が撤去されており、晩年の九州の特徴である。
床下では、前位側へスカートの取り付けが行われているのは九州の共通事項。機関は原形のDMH17Hエンジンを装備しているが、機関予熱器は撤去されている。2000番台であり4VK発電セットを取り付けている。水タンクは、新型のFRP製のものに交換されている。
妻面は、九州の近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。


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