キハ28 190



1963年1月18日帝国車両製の4次車で、昭和37年度第1次債務で山形機関区に新製配置された。同一ロット190〜192のうち、190・191が山形へ配置された。両車は以降行動を共にすることとなる。小牛田では急行「三陸」を中心に東北本線の幹線急行で活躍したが、同時期に東急車両製のキハ28が投入されたためか、山形ではあまり使用されず1962年度中に千葉へ転出した。しかし転出後まもなく北海道の夏季輸送用に使用されることとなり1963年6月1日付で苗穂へ転出し、夏季輸送終了後は同年9月18日付で千葉へ戻った。千葉では房総地区各線の急行で使用されたが、1964年度で需給の関係で水戸へ転属する。水戸では常磐線の急行「ときわ」の他、水郡線へ直通する「奥久慈」、磐越東線経由の「いわき」等で活躍した。水戸では国鉄末期まで長く活躍し、「60-3改正」で前記急行が廃止の後は保留車となり臨時急行や普通列車の代走で使用される程度になった。そして老朽化と余剰のため1986年10月23日付で廃車となった。

前面は、前面補強されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。放送ジャンパ受栓はステップ下部に設置されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーは原形のスリット式である。デフロスタは水戸地区特有の、取付金具が左右にあるタイプである。なお当車は千葉ヘッドマークステイを貫通扉に付けており、同ステイが
取り付けられた1971年以降の千葉在籍履歴は無いが恐らく貸し出し等が行われたものと思われる。
側面はほぼ原形であるが、乗務員室窓バランサー点検蓋が後年設けられ、蓋がボルトで止められている。
屋根上はほぼ原形であるが、常磐無線を取り付けている。
床下もほぼ原形であるが、スノープロウは複線用を取り付けている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、2-4位側中央部床下へ設置されている。


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