キハ28 194



1963年2月1日帝国車両製の4次車で、昭和37年度第1次債務で小牛田機関区に新製配置された。同一ロット194〜196のうち、当車のみ小牛田へ配置された。小牛田では急行「三陸」を中心に東北本線の幹線急行で活躍したが、同時期に東急車両製のキハ28が投入されたためか、小牛田ではあまり使用されず1962年度中に千葉へ転出した。しかし転出後まもなく北海道の夏季輸送用に使用されることとなり1963年6月1日付で苗穂へ転出した。夏季輸送終了後には同時期に北海道に渡った仲間が千葉へ帰るのにも関わらず、当車は需給の関係で1963年9月16日付で新潟へ転出した。新潟では急行「よねやま」「いいで」等で活躍したが、長大編成対応車が増備もしくは転入したため当車は1964年9月30日付で小牛田へ転出した。しかし2度目の小牛田も長続きせず、1964年度中に秋田へ転出した。秋田では急行「しらゆき」「おが」を中心に、奥羽本線・羽越本線系統の急行で非冷房のまま長く活躍した。東北新幹線開業に伴う「57-11改正」では急行の削減により大幅な車両転配が行われる当車は引き続き秋田に残留し、主に普通列車で活躍するようになった。国鉄末期には需給の関係及び車両交換により転属が続き、1984年2月1日付で山形へ、1986年3月3日付で秋田へ、そして「61-11改正」で山形へ転属した。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は山形配置で奥羽本線・左沢線・陸羽西線を中心に普通列車で使用された。その後は1990年より始まったキハ110系投入による車両転配や、左沢線のワンマン化・ロングシート化・短編成化により捻出され余剰となり、1990年7月13日付で廃車となった。

前面は、土崎工場で前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転室窓下の手すりも原形のままであるが、位置は若干下がっている。正面窓上の水切り・通風口は原形のままである。放送用ジャンパ線受は、秋田地区標準位置の、テールライトの左上付近に移設されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。当車のデフロスタは水戸区に多く見られる取付金具が左右に付いたタイプとなっている。
側面はほぼ原形のままであるが、国鉄秋田時代に汚物処理装置を取り付けていたため、側面に点検蓋が設けられている。
屋根上は、原形のままである。
床下機器は、ほぼ原形のままである。スノープロウは単線用を取り付けている。


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