キハ28 196 → キハ28 2196



1963年2月1日帝国車両製の4次車で、昭和37年度第1次債務で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット194〜196のうち、195・196が和歌山へ配置された。和歌山へは長大編成用車両が投入されるまでの繋ぎ的な配置で、1963年9月に300番台車が一挙に新製投入されると、9月21日付で千葉へ転属した。千葉では房総半島各線の急行で使用された。1972年12月12日付で冷房化及び発電エンジン搭載改造が行われ、2196へ改番された。千葉では房総気動車急行の最後まで活躍し、総武本線全線電化による「50-3改正」で余剰となり、1975年3月16日付で美濃太田へ転属した。美濃太田では急行「のりくら」をはじめ急行「大社」「紀州」等名古屋を起点とする急行で活躍した。1976年10月には高山本線でダイヤ改正があり名古屋と美濃太田の間で車両及び運用の交換があり、当車は1976年10月14日付で名古屋へ転属した。名古屋では引き続き急行「のりくら」「紀州」で活躍した。国鉄末期には急行の削減が行われ主に「のりくら」と武豊線普通列車の運用となり、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き急行「のりくら」の他武豊線の普通列車でも活躍した。しかし1989年3月改正で美濃太田と伊勢へキハ11が投入されると状態の良いキハ58系により置き換えられ、当車は予備車とし1989年3月15日付で伊勢へ転出した。しかし結局あまり活躍することなく1990年2月14日付で廃車となった。

前面は、名古屋時代に前面補強されている。ワイパーはWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。冷房電源用ジャンパ栓は初期改造車の低い位置のまま残されており、制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で寄り添う位置へ移設されている。放送用ジャンパは、後期車に準じたステップ一体型に改造されている。テールライトは名古屋時代に外ばめ式に改造されている。タイフォンは原形のスリット式カバーである。正面窓上の水切り・通風口は残存している。当車は千葉配置車であるので、貫通ドアに千葉地区特有のヘッドマークステイが残存している。
側面では、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は千葉時代に乗務員室窓バランサー点検蓋が設けられ、蓋がビスでで止められている。また乗降ドア戸袋部の点検蓋が、後期車のような大型の蓋に改造されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下では、1位側助手席床下に発電動機箱が設置されている。2000番台であり後位側に4VK発電セットを取り付けている。


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