キハ28 198 → キハ28 2198 → KTR1001



1963年2月12日新潟鐵工製の4次車で、昭和37年度利用債で福知山機関区に新製配置された。同一ロット197・198両車とも福知山へ配置された。福知山では急行「だいせん」の豊岡回転車をはじめ、急行「丹後」「丹波」等で活躍した。1972年には一部運用移管で向日町へ転出し、主に京都発着の紀伊半島方面の急行で活躍した。1977年10月29日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを実施し2198へ改番された。冷房化後も急行「志摩」「紀の川」等で活躍したが、「60-3改正」では宮原の運用が向日町へ移管され、急行「丹波」「志摩」「みささ・みまさか」「たかやま」で使用された。61-11改正では急行「丹波」「志摩」が廃止されるのに伴い余剰となり、当車はJRへ継承されることなく、1987年2月10日付で廃車となった。廃車後は国鉄清算事業団へ継承されたが車齢が若いためか幸運にも復活することとなる。1990年に宮津線が北近畿タンゴ鉄道へ継承された際に、当鉄道では廉価版の団体・波動用車両導入を計画しており、当時キハ65に余裕が無かったこともありキハ58系の当車がその種車に抜擢される事になった。1990年3月頃に「レインボーリゾート」の中間車に改造され、KTR1001として再出発した。当車はエーデル化改造されたKTR2002と組んで4連で使用されたり、中間車のみの2両で波動用や時には普通列車の代走で活躍したりするようになった。しかしタンゴエクスプローラーが2編成に増備された1992年以降は次第に持て余すようになり、1996年3月の山陰本線電化に伴い電車特急と併結可能なKTR8000が5編成導入されたことにより余剰となり、老朽化も進んでいたことから1996年3月中に廃車となった。

前面は、前面補強は向日町時代由来の関西地区タイプである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のテールライトとタイフォンの間に移設されている。タイフォンカバーはシャッター付きに改造されている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのも関西地区特有の形状である。
側面では、汚物処理タンクが設置されていたので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられているが、KTR1001に改造された際に便所が撤去され、便所部の臭気抜き窓が撤去されている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は、北近畿タンゴ鉄道でブーメラン状の無線アンテナを取り付けられた以外は、冷房車の標準形態である。
床下では、国鉄時代より複線型スノープロウが設置されている。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る