キハ28 199 → キハ28 2199



1963年2月13日新潟鐵工製の4次車で、昭和37年度利用債で福知山機関区に新製配置された。同一ロット199・200両車とも福知山へ配置された。福知山では急行「だいせん」の豊岡回転車をはじめ、急行「丹後」「丹波」等で活躍した。1972年には一部運用移管で向日町へ転出するが、「53-10改正」で宮原担当の急行「ちくま」「越後」等が廃止されると一部車両が向日町へ転入し、当車は非冷房であったことから玉突きで1978年10月4日付で浜田へ転出した。浜田では玉突きでキハ17が廃車されている。当初は非冷房であることから主に普通列車で活躍したが、キハ58系冷房化の最末期となる1980年5月13日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを実施し2199へ改番された。冷房化後は急行「だいせん」「石見」でも活躍するようになったが、「60-3改正」で急行「石見」等山陰本線西部の急行が廃止され、また急行「さんべ」が小郡に運用移管されたことから、当車も1985年3月14日付で小郡へ転出した。小郡では急行「さんべ」「ながと」で活躍するようになり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も引き続き同急行で使用されたが、編成の減車は続き、1990年3月のダイヤ改正で「さんべ」の付属編成の運用移管により1990年3月10日付で鳥取へ転出した。鳥取では前述の急行「さんべ」の他、急行「砂丘」「但馬」で活躍した。しかし急行「砂丘」も減車が行われるとともにアコモ改造され、一般車の一部は捻出され、、当車は再び小郡へ転出した。しかし今回の転出では当車は小郡で急行用とはならず、黄色ベースの「広島普通色」へ塗り替えられ山陰本線西部・山口線の普通列車で活躍するようになった。途中1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1999年10月28日付で廃車となった。

前面は、浜田由来の後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。正面窓上の水切り・通風口はともに撤去されている。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は、通風器が鳥取時代にハーフガーランドベンチレーターへ交換されており、山口では珍しい存在であった。その他は標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは新型のFRP製に交換されている。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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