キハ28 201 → キハ28 2201



1963年2月15日新潟鐵工製の4次車で、昭和37年度利用債で高松機関区に新製配置された。同一ロット201〜203全車が高松へ配置された。高松では四国全域の急行で使用された。当車はキハ58系では早期の1969年12月27日付に冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い、2201へ改番された。しかし当時四国では勾配線用のキハ65の大量投入が行われており、キハ28は次第に比較的平坦な徳島地区で活躍した。1973年以降手狭になってきた高松運転所の高徳本線運用が徳島気動車区へ移管され、当車も同年度中へ徳島へ転出した。以降は比較的平坦な徳島地区の急行列車で使用され、国鉄末期の急行削減、高松からの余剰キハ65転入後も生き残り、そのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年4月10日の改正でキハ58のみの配置であった高知へ転属し、同区の普通列車の冷房化を行うことになった。以降主に土讃線の普通列車で使用され、1988年12月22日付で四国色へ変更された。1990年3月改正では車両の入れ替えがあり当車は3月16日付で松山へ転属したが、同年11月21日の改正では予讃線松山付近電化により再び高知へ戻っている。そして1990年10月15日付で近郊化改造されている。1992年3月のダイヤ改正では1000形の増備に伴う車両転配があり当車は1992年3月14日付で徳島へ転属した。しかし1000形の増備により余剰となり1992年9月30日付で廃車となった。

前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、タイフォン横に設けられている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車は徳島配置車であるが汚物処理装置の準備工事が施工されており、便所側面に点検蓋が取り付けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態である。
屋根上は、標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下では、便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのままである。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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