キハ28 301 → キハ28 2301



1963年9月2日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度本予算で新潟運転所に新製配置された。同一ロット301〜303全車が新潟へ配置された。新潟では急行「越後」「羽越」等で使用されたが、勾配線区が多くキハ58が新製投入されると需給の関係からキハ28は転出するケースが多く、当車も1965年9月24日付で米子へ転出した。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1969年度に運用持ち替えで鳥取へ移動したが、引き続き山陰本線の急行「但馬」「白兎」等で使用された。1971年5月12日付で需給の関係で兄弟の302と共に竹下へ転出した。竹下転出後は1971年11月19日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2301へ改番された。竹下では主に長崎本線系統の急行「いなさ・弓張」で活躍した。しかし「55-10改正」では日豊本線全線電化に伴う気動車急行の縮小と全般的な減車の流れで余剰となり、1980年10月5日付で新潟へ転属した。新潟では急行「いいで」「あさひ」「あがの」「羽越」「うおの」等の冷房化に使用された。なおこの転属により玉突きで新潟の非冷房キハ58系が九州へ転属し、キハ55系を置き換えるという玉突きが発生している。そして国鉄末期の急行整理後も残った「べにばな」「あがの」で引き続き活躍し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き「べにばな」「あがの」等、磐越西線・米坂線で活躍した。そして1990年10月には機関がカミンズ製DMF14HZへ換装されている。1991年にはキハ110系投入によるJR東日本管内広域での車両転配により、当車は飯山線の冷房化に回ることになり1992年2月4日付で長野へ転出した。長野転出後は飯山色へ変更され、飯山線の普通列車で活躍した。しかし1997年3月より飯山線へキハ110系が先行投入された際に捻出され、状態の良い当車は他区の検査期限切れ・状態不良車と交代することになり1997年8月27日付で新庄へ転出している。新庄では飯山色のまま奥羽本線の普通列車のほか快速「月山」で活躍し異彩を放った。しかし1999年3月のダイヤ改正で山形新幹線新庄延伸にともなう工事のため「月山」が運休となると用途を失い、1999年5月11日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。制御用KE53ジャンパ受栓の位置は、非冷房車の位置へ設置されており、異彩を放っている。放送用ジャンパ受栓は、ステップ一体型となっている。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。タイフォンカバーは、新潟時代の竹槍状の筒が外され、長野地区特有の形状のスリット状のカバーとなっている。テールライトは外ばめ式に改造されている。デフロスタは新潟地区標準で、左右両側に付いている。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、飯山色の塗分けが屋根上まで及んでおり特徴的である。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ更新されている。油タンクは原形のままである。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。運転室床下に単線型スノープロウを設置している。


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