キハ28 303 → キハ28 2303



1963年9月2日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度本予算で新潟運転所に新製配置された。同一ロット301〜303全車が新潟へ配置された。新潟では急行「越後」「羽越」等で使用されたが、勾配線区が多くキハ58が新製投入されると需給の関係からキハ28は転出するケースが多く、当車も9月28日付で米子へ転出した。米子では山陰本線系の急行で使用され、急行「だいせん」「伯耆」等で使用された。1969年度に運用持ち替えで鳥取へ移動し、直後の1969年11月29日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2303へ改番された。鳥取では引き続き山陰本線の急行「但馬」「白兎」等で使用された。1971年には需給の関係から非冷房で残っていた兄弟の301・302が竹下へ転出するが、当車は冷房化されていたこともあり、引き続き鳥取で長く活躍した。しかし国鉄最後の「61-11改正」では福知山線電化により急行「白兎」が廃止された際に余剰となり、当車は紀勢東線の普通列車体質改善のため11月6日付で伊勢へ転属した。そしてそのままJR東海に継承された。JR化後は紀勢本線・参宮線で活躍したが、JR東海では1989年3月改正でキハ11を大量投入により老朽気動車の淘汰を早くも実施し、当車は1989年9月2日付で廃車となった。

前面は、鳥取時代に後藤工場タイプの前面補強が施工されている。ワイパーはWP50へ更新され、運転台側正面窓下手すりは後藤工場標準のやや短い手すりに交換されている。制御ジャンパ受栓及びステップの位置は、後藤工場標準の位置にある。放送ジャンパ受栓は、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。テールライトは、原形の内ばめ式のままである。当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面は、3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。当車はキハ28では数少ない5-2次車で、5-3次車以降と比べ低い位置に設置された乗降ドア下部隅の丸窓が特徴であった。
屋根上は、一般的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下では、2000番台であり後位側に4VK発電セットを取り付けている。


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