キハ28 307



1963年10月8日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で広島運転所に新製配置された。同一ロット304〜307全車が広島へ配置された。広島では主に九州直通急行「青島」で使用された。1964年度には需給の関係で隣の小郡へ転属し、山陰西部から九州へ直通する急行で使用された。「40-10改正」では運用移管で1965年10月2日付で米子へ転属し、山陰本線系の急行「だいせん」「さんべ」、伯備線の「伯耆」等で使用された。1969年度に運用持ち替えで鳥取へ移動し引き続き急行「だいせん」の他、「但馬」「砂丘」等で活躍した。1971年度には需給の関係で隣の福知山へ転属したが、山陽新幹線岡山開業に伴う「72-3改正」で特急「やくも」新設をはじめ山陰地区で急行列車の整理が行われ捻出され、1972年3月4日付で盛岡へ転属した。盛岡では急行「陸中」「はやちね」等、盛岡近辺の急行で活躍したが、1970年代後半より急行の減車もあり普通列車でも使用されるようになってきた。1981年12月に盛岡へキハ48が投入されると1エンジンの当車は整理対象となり、1982年1月1日付で一ノ関へ転属した。一ノ関ではキハ26に代わり大船渡線・北上線の普通列車で活躍した。しかし国鉄末期のダイヤ改正による合理化で所要数が削減されると余剰となり、1987年2月5日付で廃車となった。

前面は、盛岡時代に盛岡工場で前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50に交換されており、それを避けるよう運転室窓下の手すり位置が大きく下がっているのは盛岡地区の特徴である。正面窓上の通風口は左右とも残存している。放送用ジャンパ受栓は盛岡地区標準のステップ上部へ移設されているが、当車は台座付きである。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンはシャッター式に改造されている。正面窓上の小手すりに、盛岡・函館地区標準の警戒表示板がついている。
側面は、ほぼ原形のままである。
屋根上は、ほぼ原形である。
床下もほぼ原形で、スノープロウは単線用を取り付けている。


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