キハ28 308 → キハ28 2308



1963年10月18日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で宮原機関区に新製配置された。同一ロット308〜311全車が宮原へ配置された。宮原では北陸本線系統の急行「きたぐに」等で使用開始した。北陸本線電化に伴う系統の整理により急行「越後」と名称を変えたが、引き続きこれら北陸本線急行の付属編成や、中央西線の急行「ちくま」付属編成等で活躍した。その他福知山線の急行「丹波」や高山本線直通の急行「たかやま」、姫新線の急行「みまさか」等広範囲で使用された。1971年9月28日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2308へ改番されている。国鉄末期の「60-3改正」で急行の短編成化が行われると余剰となり、急行「陸中」の冷房化で活用されることとなり、当車は1985年3月25日付で盛岡へ転属した。JR化直前の1987年2月には盛岡色へ塗装変更され、そのままJR東日本へ継承された。JR化後は引き続き急行「陸中」を中心に活躍したが、1990年より急行「陸中」へキハ110系が投入されると真っ先に置き換えられる。その後は山形地区の快速「月山」で使用されることになり、1991年2月14日付で新庄へ転属した。しかし当車は1991年3月付で機関がコマツ製DMF11HZへ換装され、塗装も「東北地域本社色」へ変更されたものの「月山」用のアコモ改造車とはならず、1992年2月26日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」を始めとし、石巻線・陸羽東線の普通列車で使用された。その後も長く快速「南三陸」で使用されたが、電化区間普通列車の電車化や運用の整理により余剰となり、1997年4月10日付で廃車となった。

前面は、宮原時代に関西地区タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、当車は新潟地区への配置経歴がないにも関わらず竹槍状の新潟タイプ(旧)のものを装備している。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。正面窓上の水切りは原形のままであるが、助手席側の通風口は撤去されている。
側面は、乗降ドア下部の丸窓が、鉄板でふさがれている。また、機関換装時に給水口が埋められている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。水タンクはFRP製のものに交換されている。また、盛岡転出後に複線型スノープロウを取り付けている。


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