キハ28 309 → キハ28 2309



1963年10月18日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で宮原機関区に新製配置された。同一ロット308〜311全車が宮原へ配置された。宮原では北陸本線系統の急行「きたぐに」等で使用開始した。北陸本線電化に伴う系統の整理により急行「越後」と名称を変えたが、引き続きこれら北陸本線急行の付属編成や、中央西線の急行「ちくま」付属編成等で活躍した。その他福知山線の急行「丹波」や高山本線直通の急行「たかやま」、姫新線の急行「みまさか」等広範囲で使用された。1971年9月16日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2309へ改番されている。国鉄末期の急行列車の短編成化や縮小により「59-2改正」で当車は一足先へ向日町へ転出することになり、1984年2月5日付で移動した。「60-3改正」では宮原配置車が向日町へ統合され、また急行「みささ・みまさか」の1往復と急行「紀ノ川」が廃止されたことから余剰となり、1985年4月25日付で広島へ転出した。広島では多く残存していた若番車と交代し使用された。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「ちどり・たいしゃく・みよし」の芸備線急行で色を変えながら活躍した。まず1991年3月8日付で緑ベースの「広島急行色U」に、そして1997年頃に現行の「広島急行色V」に変更された。2002年3月改正で「ちどり」「たいしゃく」が廃止され「みよし」に統合されることになり同急行のみでの運用となった。しかし2007年6月30日で急行「みよし」は廃止され、2007年11月9日付で廃車となった。

前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが運転席窓下の手すりは原形のままで、広島転出後のワイパー更新である。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、北陸本線運用があることから宮原時代にシャッター式に改造されている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。正面窓上の通風口・水切りともに残っている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が完全になくなっている。その他は概ね原形を保っているが、広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上はすべての通風器が交換され、断面五角形の箱型通風器となっている。これはJR西日本では広島支社に多い特徴である。
床下では、水タンクが新型のFRP製のものに交換されている。後位側では、循環式汚物処理タンクが設置されている。その他床下機器は2000年代以降の幡生工場標準の、グレー台車になっている。


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