キハ28 310 → キハ28 2310



1963年10月18日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で宮原機関区に新製配置された。同一ロット308〜311全車が宮原へ配置された。宮原では北陸本線系統の急行「きたぐに」等で使用開始した。北陸本線電化に伴う系統の整理により急行「越後」と名称を変えたが、引き続きこれら北陸本線急行の付属編成や、中央西線の急行「ちくま」付属編成等で活躍した。その他福知山線の急行「丹波」や高山本線直通の急行「たかやま」、姫新線の急行「みまさか」等広範囲で使用された。1971年7月5日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2310へ改番されている。国鉄末期の基地統廃合により宮原機関区は廃止され向日町運転所へ統合され、1985年3月14日付で移動した。以降は急行「みまさか」「たかやま」「丹波」「志摩」等で活躍し、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「みまさか」「たかやま」のみとなり、「みまさか」も1989年に廃止され主な用途は波動用となる。伊勢方面の修学旅行臨や、但馬地方へのカニ臨などで主に活躍したが、余剰のキハ181系がこれら波動輸送に転用されることになり、2003年6月12日付で廃車となった。

前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは強化型のWP50へ更新されており、運転席窓下の手すりは、これを避けるべく短くなっているのは関西地区特有の形状である。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、北陸本線運用があることから宮原時代にシャッター式に改造されている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。正面窓上の通風口は撤去されているが、水切りは残っている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。乗務員室窓バランサー点検蓋は、後年追設され鉄板で塞がれている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。冷房化の際に3位側側面に吸気口が設けられている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。


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