キハ28 311 → キハ28 2311



1963年10月18日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で宮原機関区に新製配置された。同一ロット308〜311全車が宮原へ配置された。宮原では北陸本線系統の急行「きたぐに」等で使用開始した。北陸本線電化に伴う系統の整理により急行「越後」と名称を変えたが、引き続きこれら北陸本線急行の付属編成や、中央西線の急行「ちくま」付属編成等で活躍した。その他福知山線の急行「丹波」や高山本線直通の急行「たかやま」、姫新線の急行「みまさか」等広範囲で使用された。1971年10月29日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2311へ改番されている。「60-3改正」では急行「みまさか」の2往復が廃止となり、当車は急行「陸中」「はやちね」の冷房化のため1985年3月25日付で遠く盛岡へ転属した。以降同急行で活躍したが国鉄末期の「61-11改正」で急行「はやちね」が廃止された際に余剰となり東北地区では貴重な300番台の冷房車ながらJRへ継承されず、1987年2月5日付で廃車となった。

ここでは宮原時代の形態を紹介する。盛岡時代の形態は情報がなく不明である。
前面は、前面補強は宮原時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、タイフォン下部に寄り添う位置へ移設されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、北陸本線運用があることから宮原時代にシャッター式に改造されている。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。
側面では、乗務員室窓バランサー点検蓋は、後年追設され鉄板で塞がれている。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。冷房化の際に3位側側面に吸気口が設けられている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクとなっている。後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。


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