キハ28 312 → キハ28 2312



1963年10月30日新潟鐵工製の5-2次車で、昭和38年度民有債で宮原機関区に新製配置された。当ロットは当車1両のみである。宮原では北陸本線系統の急行「きたぐに」等で使用開始した。北陸本線電化に伴う系統の整理により急行「越後」と名称を変えたが、引き続きこれら北陸本線急行の付属編成や、中央西線の急行「ちくま」付属編成等で活躍した。その他福知山線の急行「丹波」や高山本線直通の急行「たかやま」、姫新線の急行「みまさか」等広範囲で使用された。宮原のキハ58系は早くから冷房化が進められていたが当車は非冷房のままで推移し、1972年度には向日町との間で冷房車に関する車両交換があり、当車は非冷房のまま向日町へ転出した。向日町では京都発着の紀伊半島方面の急行「志摩」「しらはま」等で活躍し、キハ58系冷房化末期の1979年3月16日付で冷房化及び発電セットの取り付けが行われ、2312へ改番されている。以降は急行の再編により「60-3改正」で宮原機関区は廃止され向日町運転所へ統合され、急行「みまさか」「たかやま」「丹波」「志摩」等で活躍した。国鉄末期には急行「志摩」「丹波」が廃止され、「みまさか」「たかやま」のみとなり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後は急行「みまさか」も1989年に廃止され主な用途は波動用となる。伊勢方面の修学旅行臨や、但馬地方へのカニ臨などで主に活躍したが、余剰のキハ181系がこれら波動輸送に転用されることになり、2003年9月5日付で廃車となった。

前面は、前面補強は向日町時代由来の関西地区タイプである。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有のタイフォンとテールライトの間に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式カバーである。テールライトは内ばめから、外ばめに改造されており、宮原・向日町ではよく見られた形態である。正面窓上の通風口・水切りは残っている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴はHゴムが黒くなったものの残存しているのは関西地区の標準。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋が設けられている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立つ点はない。
床下は、4VK冷房電源装置を取り付けたキハ28の標準形態である。油タンクは原形である。水タンクはFRP製のものに交換されている。後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられている。


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