キハ28 313 → キハ28 2313



1963年9月10日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット313〜316全車が和歌山へ配置された。和歌山では当時当ロットを含む313〜328の16両が一挙に新製されており、急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。1967年には急行「かすが」運用の一部を分離するためキハ58 172・173と共に亀山機関区へ転出するも、1971年度には再び和歌山へ運用移管され和歌山に戻っている。その後1975年2月24日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2313へ改番された。引き続き電化後も急行「きのくに」で活躍したが、1980年3月に急行「かすが」の運用が奈良へ移管され、1980年2月27日付で奈良へ転属した。以降急行「かすが」を中心に活躍したが、1984年10月で奈良機関区の気動車配置が無くなり亀山へ統合されることになり、当車も1984年10月中に亀山へ移動した。亀山では急行「かすが」の他、関西本線・紀勢本線・片町線の普通列車で使用された。そしてそのままJR西日本へ継承された。1987年7月13日の信楽線転換後は亀山のキハ58系は余剰気味であったが、1988年9月29日付で客車列車置き換えのため福知山運転所へ転出、山陰本線京都口の普通列車で使用開始した。この時期には山陰本線保津峡付近の新線開通に合わせ大量のキハ58系が福知山に集まってきていた。しかし福知山での活躍も束の間、1990年3月には山陰本線園部電化開業し、1988年9月に福知山に集結したキハ58系は早くも大量に余剰となった。当車は余剰車となり1990年3月付で再び亀山へ転出した。これは関西本線ワンマン化のため極力形式統一することとなり、キハ58系が呼び戻されたものである。ほぼ同時に1990年3月14日付でワンマン化及び近郊化改造が施工され、関西本線のワンマン運用で使用された。しかし関西本線でのワンマン運用は長くなく、1994年のダイヤ改正で関西本線はキハ120化され余剰となった。当車は小郡に残留していたキハ45系置き換えのため1994年12月3日付で小郡へ転属し、山口線・山陰本線西部で使用開始した。小郡転出後は黄色ベースの「広島普通色」へ変更され、ワンマン設備も撤去された。1995年10月1日には組織改正で山口鉄道部となったが運用は変わらない。しかし1990年代後半降各地からキハ40系が転入し、当車は老朽化のため1999年3月31日付で廃車となった。

前面は、奈良時代に名古屋工場にて前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ更新されているが、運転席窓下の手すり原形のままである。放送ジャンパ受栓は、元和歌山配置車ながら関西タイプの位置ではなく、ステップ下部に設置されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式カバーである。テールライトは内ばめ式のままである。なお当車は亀山時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が撤去されている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。また広島地区の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。亀山ワンマン時代の車外スピーカーはそのまま残されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。


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