キハ28 314 → キハ28 2314 → KTR1002



1963年9月10日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット313〜316全車が和歌山へ配置された。和歌山では当時当ロットを含む313〜328の16両が一挙に新製されており、急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。1970年4月11日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2314へ改番された。引き続き電化後も急行「きのくに」で活躍したが、1980年3月に急行「かすが」の運用が奈良へ移管され、1980年3月3日付で奈良へ転属した。以降急行「かすが」を中心に活躍したが、1984年10月で奈良機関区の気動車配置が無くなり亀山へ統合されることになり、当車も1984年10月中に亀山へ移動した。亀山では急行「かすが」の他、関西本線・紀勢本線・片町線の普通列車で使用された。そしてそのままJR西日本へ継承された。1987年7月13日の信楽線転換後は亀山のキハ58系は余剰気味であったが、1988年9月30日付で客車列車置き換えのため福知山運転所へ転出、山陰本線京都口の普通列車で使用開始した。この時期には山陰本線保津峡付近の新線開通に合わせ大量のキハ58系が福知山に集まってきていた。しかし福知山での活躍も束の間、1990年3月には山陰本線園部電化開業し、1988年9月に福知山に集結したキハ58系は早くも大量に余剰となった。この頃宮津線は北近畿タンゴ鉄道へ継承されたが、当鉄道では廉価版の団体・波動用車両導入を計画しており、当時キハ65に余裕が無かったこともありキハ58系の当車がその種車に抜擢され、JR西日本で1990年3月1日付で廃車になった後「レインボーリゾート」の展望車に改造され、KTR1002として再出発した。当車は当時JR西日本で進められていたキハ65へのエーデル化改造をキハ58系へ施工したものであり、キハ58系では特異な存在であった。北近畿タンゴ鉄道では、タンゴエクスプローラーを補完する臨時特急や団体・波動輸送に使用されたが、タンゴエクスプローラーが2編成に増備された1992年以降は次第に持て余すようになり、1996年3月の山陰本線電化に伴い電車特急と併結可能なKTR8000が5編成導入されたことにより余剰となり、老朽化も進んでいたことから1996年3月中に廃車となった。

前述の通り、キハ58系で唯一のエーデル化改造車であり、特異な存在である。
前面は、JR西日本の「エーデル」シリーズの展望車と同じ形状へ改造されており、丸みを帯びた形状と丸目により独特の表情である。
側面は、前位側がエーデル展望車へと改造されており、種車の面影はない。車体中央から後位側は原形を保っており、エーデルシリーズながら張り上げ屋根で窓も開く構造がキハ65改造車と異なっている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は、前位側は展望室へ改造された関係で大幅に手を加えられている。展望室用の集中式クーラーが取り付けられている。その後位側は通風機まで含め原形のままで、前位側とのギャップが著しい。
前位側がスカート等を含め車体形状変更に伴い改造されている。それ以外は機関等含めほぼ原形である。


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