キハ28 315 → キハ28 2315



1963年9月10日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット313〜316全車が和歌山へ配置された。和歌山では当時当ロットを含む313〜328の16両が一挙に新製されており、急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。その後1971年5月19日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2315へ改番された。引き続き電化後も急行「きのくに」で活躍したが、1980年3月に急行「かすが」の運用が奈良へ移管され、1980年3月度で奈良へ転属した。以降急行「かすが」を中心に活躍したが、「57-11改正」で編成の減車が行われ、当車は1982年11月22日付で山形へ転出した。山形では非冷房車に代わり主に急行「月山」「べにばな」「もがみ」で使用され、同急行の冷房化に貢献した。その後急行「もがみ」が廃止された際に多くの仲間が廃車となったが当車は「月山」用として生き残り、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も急行色のまま引き続き山形配置で急行「月山」に使用され、1990年11月には機関がコマツ製DMF11HZへ換装されたが急行「月山」用のアコモ改造は施工されなかった。そのため急行「月山」のアコモ車登場とともに同急行から外れ、1991年3月16日付で小牛田へ転出した。小牛田では快速「南三陸」「いでゆ」をはじめ、陸羽東線・石巻線をメインに活躍した。そして塗装も「東北地域本社色」へ変更された。その後急行「月山」の快速化により同列車のアコモ車が小牛田に転属して快速「南三陸」指定席車のアコモ改良を行うこととなり、小牛田と新庄の間でアコモ改造車と一般車の交換が行われ、当車は1993年12月1日付で新庄へ転属した。新庄では再び快速「月山」で活躍するようになった。しかし1999年3月のダイヤ改正で山形新幹線新庄延伸にともなう工事のため「月山」が運休となると用途を失い、1999年5月11日付で廃車となった。

前面は、和歌山時代に高砂工場で前面補強が施工されている。ワイパーは原形のWP35のままであり、運転席窓下の手すりも原形のままである。制御ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ設置されている。放送ジャンパ受栓は、秋田地区標準のテールライトの外側付近へ移設されている。タイフォンカバーは、山形へ転入した際に回転蓋式へ改造されている。テールライトは内ばめ式のままである。正面窓上の通風口は、助手席側のみが撤去されている。
側面では、乗降ドア隅の丸窓が鉄板で塞がれている。機関換装時に給水口が埋められている。3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。
床下では、機関はコマツ製DMF11HZへ換装されている。油タンクは原形のままである。水タンクはFRP製のものに交換されている。また山形転出後に単線型スノープロウを取り付けている。


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