キハ28 318 → キハ28 2318



1963年9月20日東急車両製の5-2次車で、昭和38年度民有債で和歌山機関区に新製配置された。同一ロット317〜320全車が和歌山へ配置された。和歌山では当時当ロットを含む313〜328の16両が一挙に新製されており、急行「きのくに」を中心に紀勢本線の急行で活躍した。その後1974年12月12日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けで2318へ改番された。引き続き電化後も急行「きのくに」で活躍したが、「55-10改正」で381系増備により急行「きのくに」が削減された際に余剰となり、1980年10月8日付で水戸へ転出した。水戸には当時非冷房車が残存しており、これらの置き換え用であった。水戸では急行「ときわ」「奥久慈」で主に使用されたが、常磐無線を装備しないため常磐線内中間車限定で運用された。急行「ときわ」は東北方面の急行が大幅削減された「57-11改正」後も引き続き残存したが、「60-3改正」で特急格上げされ廃止された。急行廃止後は主に水郡線の普通列車用として活躍し、「61-11改正」では真岡線のキハ25置き換えのため真岡区へ転出し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も真岡線及び水戸線直通普通列車で使用されたが、1988年4月に真岡線は第三セクター移管が決まっており、それを控えた1988年3月改正で水戸線直通列車が廃止され余剰となり、3月15日付で山形へ転出した。山形では冷房化率向上に貢献し、急行「月山」で優先的に使用された。1991年以降急行「月山」のアコモ改造を行うことになり当車がその対象となり、1991年10月28日付で機関更新・車体更新・アコモ改造等徹底的な体質改善工事が施工された。急行「月山」は同じアコモ改造車のキハ58形と組んで使用されていたが、快速格下げとともに指定席車のみがアコモ車という編成に改められ、すべでのアコモ改造キハ28は快速「南三陸」の指定席設定のため移動することになり、1993年12月1日付で小牛田へ転出した。小牛田では他のキハ58系と組み快速「南三陸」専属で使用された。その後は長く同快速で使用されたが、2007年より水郡線がキハE130系化された際に捻出されたキハ110系が小牛田へ転入し快速「南三陸」も置き換えられ、2009年1月8日をもって廃車となった。

前面は、和歌山時代に前面補強されているが、補強板の境界が平滑に仕上げられており、形状がよくわからない。ワイパーはWP50へ改造されているが、前面窓下の手すりは位置が若干下がったのみである。制御用ジャンパ受栓は、左右離れた位置へ移設されているが、幌枠に近い方は保安ブレーキのジャンパ線を追設した際に位置が上がっている。放送ジャンパ受栓は、関西地区標準のテールライトとタイフォンの間付近へ移設されている。テールライトは内ばめ式のままである。タイフォンはスリット式カバーのままである。正面窓上の水切りは残存しているが通風口は左右とも撤去されている。
側面は、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車同様、キハ40系のようなタイプに変更されている。車体側面にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋が追設されており、蓋がボルトで止められている。アコモ改造時に、行先方向幕が左から2つ目の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態である。冷房化後の水戸区への転属のため、クーラー配置は常磐無線対応になっていない。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ更新されている。油タンクは角型のものに更新されている。更新時に便所が撤去されているが、床下の水タンクはそのまま残置されている。タンク自体は原形の鋼製のものである。当車は機関換装時に、機関予熱器が後期ロットと同じものに交換されている。また、当車は後年の郡山工場担当車両標準で、床下機器がグレーで塗装されている。


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